加藤曙見書作展
「歌 - 中野重治を書く
会期:2007年11月9日(金)〜13日(火)
時間:11:00〜18:00(最終日16:00まで)
会場:毎日アート出版画廊 03(3233)7383(画廊直通) 

 書家・加藤曙見さんの当画廊では10回目となる今回の書作展では、加藤さんと同郷の詩人・中野重治(なかの しげはる 1902-1979、福井県出身)の作品を書くというもの。
 正直なところ中野重治といわれても浅学の自分(東京オリンピックの年生まれ)には初耳の詩人。略年譜と代表作である『歌』や『雨の降る品川駅』を読んでも、まったく未経験でした。でも『歌』は自分のなかの「プロレタリア文学」のイメージそのもので、それを加藤さんが書くということ。
 とりあえず案内ハガキにも書かれている「赤まま」という言葉が気になってしょうがない。赤ままの花を歌うな。桜や椿などでは伝わらない、プロレタリアートな響きが心に刻まれる。きっとこれは文庫本などの活字で触れるのより、北陸人である加藤さんの書だから伝わってくるものだと、直感的にわかるのです。
 なんとなく、なんとなくなんですが、加藤さんの書く、般若心経など見てみたいなと、感じてしまいました。(Y) 
 

 詩を朗読することと「書」は似ているのではないか?朗読は、わかるように読み聞かせるのとは違う。朗読それ自体に意味がある。
詩を音として聞くことだろうか。耳から入ってくる言葉として聞くことだろう。
朗読する人の朗読の仕方によって、同じ詩でも随分違ってくるだろう。例えば、上手にすらすら朗読するより、つっかえつっかえ朗読する方が、詩の感情を表していることもあるだろう。
では、書は、目から入ってくる形として見る詩と言ってもよいだろうか。私の書は私が紙に書いた朗読だ。

詩人は、朗読されたくないかもしれない。または、詩人の望むような朗読でないかもしれない。しかし、一旦発表されてしまったら読者がどのように読もうが、詩人が拒むことはできない。どのように読むか、はどのように感じるか、ということでもある。

さて、中野重治の詩はどのように朗読しようか?
中野重治は、「歌」「雨の降る品川駅」を書いた時、意図するものがあったかもしれないが、私は私が感じたように朗読したい。
「歌」を読むと、私はいつも、北陸人である中野重治を感じる。「赤まま」という言葉が出てくるからだと思う。子供の頃、どこにでもあった。赤まま、は北陸だけの言葉ではないのかもしれないが、中野重治もこの花を見ていた、と思うと彼を身近に感じる。上べだけのことは言えない、朴訥に見えて繊細な北陸人。四校生だった中野が金沢の街を歩きながら、自分自身に言い聞かせていたのではないか。
「雨の降る品川駅」は寂しい悲しい詩だ。別れだけでも悲しいのに雨が降っている。悲しい詩だから、泣きながら朗読すればいいわけではない。淡々と朗読した方がいいだろう、と考えながら書いた。     

                                      加藤曙見 

「歌」(大正15年)
おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥き去れ
すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
もっぱら正直なところを
腹の足しになるところを
胸さきを突き上げてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸郭にたたきこめ  

「雨の降る品川駅」(昭和6年)

辛よ さようなら
金よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する

李よ さようなら
も一人の李よ さようなら
君らは君らの父母〔ちちはは〕の国にかえる

君らの国の川はさむい冬に凍る
君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る

海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる

君らは雨にぬれて君らを追う日本天皇を思い出す
君らは雨にぬれて 髭 眼鏡 猫背の彼を思い出す

ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる
雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らの熱い頬にきえる

君らのくろい影は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊〔ほろう)の闇にひるがえる

 

シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ

君らは出発する
君らは去る

さようなら 辛
さようなら 金
さようなら 李
さようなら  女の李

行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
ながく堰〔せ〕かれていた水をしてほとばしらしめよ
日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾
さようなら
報復の歓喜に泣きわらう日まで 

    

会場で書かれた看板と会場の様子
加藤曙見(かとうあけみ)
福井県福井市生まれ。昭和53年より書を始め、58年に千葉の書家、木村三山に出会う。会に属さず自由に活動する木村の姿に感銘を受ける。63年に木村が逝去した後、漢詩、歌、誌などをテーマに初個展を開く。以後、年一回福井市内で個展。平成6年からは長崎市島原市の復興イベントの一環で「春爛漫」展に出品。また、東京などの画廊で個展や現代歌人、詩人達とのコラボレーションでも作品を発表していく。  
加藤曙見略年譜
昭和 53年 書道会に所属。当初より自由に書きたいと考えていた。
58年 千葉の書家、木村三山に出会う。木村の主宰する現代書詩創風会に入会。
63年 木村三山逝去。初個展「加藤曙見書作展」開催。
平成 元年 福井市内で個展開催(以後9年まで毎年)
6年 「春爛漫」展(長崎県島原市)出品。(以後毎年)
9年 個展「萩原朔太郎を書く」(12月、東京神田・毎日アート出版画廊)
10年 共同展「フォーシーズンズ」(9月、伊豆下田・ギャラリー田)
11年 個展「女色夢幻」(7月、東京神田・毎日アート出版画廊)
12年 個展「五月の鷹−寺山修司の作品より」(11月、東京神田・毎日アート出版画廊)
13年 個展「私の上に降る雪−中原中也を書く−」(11月、東京神田・毎日アート出版画廊、翌6月福井市・ギャラリーサライ、11月、山口市・中原中也記念館)
14年 個展「山頭火行乞記より」(11月、東京神田・毎日アート出版画廊)
15年 個展「あんずよ燃えよ−室生犀星詩より−」(9月、金沢弥生郵便局、11月、東京神田・毎日アート出版画廊)
16年 個展「イノセント -宮沢賢治を書く-」(9月、金沢弥生郵便局、11月、東京神田・毎日アート出版画廊)
17年 個展「放浪 -金子光晴を書く-」(11月、東京神田・毎日アート出版画廊)
18年 個展「-ランボーを書く -」(11月、東京神田・毎日アート出版画廊)
作品集:「私の上に降る雪−中原中也を書く−」(発行:ジャパンビルド)
    「山頭火行乞記より」(〃)
    「あんずよ燃えよ -室生犀星詩より-」(〃)
    「イノセント -宮沢賢治を書く-」(〃)
    「放浪 -金子光晴を書く-」(〃)
    「-ランボーを書く -」(〃)
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